KJ型エレベーター

1967年製のKJ型エレベーター KJ型エレベーターは、公団住宅向けに開発された公共住宅用エレベーターです。
1950年~1970年代にかけて大量に設置され、今でも更新・改修されたものが全国各地に残っています。
国内で初めて量産されたエレベーター規格であり、現在の広く普及している標準型エレベーター(旧名:規格型エレベーター)の元祖と言える存在です。
ここでは、KJ型エレベーター誕生から規格型エレベーター開発の経緯までを見ていきましょう。

高度経済成長期は量産化の時代

1955年~1973年は高度経済成長期でした。住宅需要が高まり、戸建て住宅ではプレハブ住宅が開発、普及し始めました。プレハブ住宅は予め間取りが決められているため、建築資材は大量生産が可能となりました。
高度経済成長初頭の1950年代には、日本住宅公団によって鉄筋コンクリート造の集合住宅が大量に造られました。玄関ドアやサッシ、流し台等の設備は1棟だけでも大量に必要になります。そこで住宅公団は「公共住宅用規格部品制度」(KJ部品)を発足させ、 仕様の統一を図る(規格化・標準化)することで部品の大量生産が可能となり、団地の建設が進みました。KJ部品制度は後のベターリビング「優良住宅部品認定制度」(BL部品)に受け継がれています。

公団住宅のエレベーター

公団住宅には、エレベーターも設置されるようになりました。国内の集合住宅で最初に設置されたのは、1958年(昭和33年)に完成した晴海高層アパート(東京都)です。このエレベーターには3階、6階、9階にしか停止しないという特徴があります。
当時のエレベーターは全て建物ごとに受注生産していたため、とても高価なものでした。そこで公団はコスト削減の為スキップフロア方式を採用したのです。晴海高層アパートをはじめ、スキップフロア方式はその後も採用されました。
その後公団はKJ部品と同じように考え、量産でき安価で実用的な公共住宅用エレベーター(KJ型エレベーター)の開発をエレベーターメーカーへ依頼しました。晴海高層アパートに設置されたのは東洋オーチス(現在の日本オーチス)製エレベーターでしたが、 KJ型エレベーターを開発したのは三菱電機と日立製作所の2社でした。

当初のKJ型エレベーターの仕様は以下の通りです。

  • 積載量750kg
  • 分速30m
  • 交流一段制御
  • 一枚戸

KJ型は規格型エレベーターへ

同年、KJ型1号機(三菱製)が名古屋市本重町アパート(愛知県)に納入されました。これはKJ型の1号機であると同時に、国内初の量産型エレベーター1号機でもありました。
KJ型エレベーターは公団以外の公共・公営住宅にも広く普及し成功を収めました。その影響は一般向け規格型エレベーターの開発の発端となりました。
三菱は国内向けのKJ型エレベーターと香港向け簡易エレベーターをもとに発展統合させ、1961年(昭和36年)にJIS規格に則った【規格型エレベーター「エレペット」】を発売しました。 他メーカー各社も1961年以降、規格型エレベーターを発売することになります。

規格型エレベーター発売後KJ型はどうなった?

規格型エレベーターが発売・普及した後も、1978年(昭和53年)にKJ制度が解消されるまで、KJ型は設置されていたと私は推測しています。
規格型発売以降に竣工した住宅に、規格型意匠を採用しながらも、KJ型仕様に準拠しているエレベーター設置例がある為です。
次のページでは、実際のKJ型設置例を見てみましょう。

次のページ ⇒ KJ型設置例

参考文献

<< 前のページに戻る